電験に夢中になれますか?
天才とは自分を信じる力を持つ人
皆さんは自分の事を頭が良い人間だと思っていますか?
それとも頭の悪い人間だと思っていますか?
もしも、自分の事を「頭の悪い人間」だと考えているのならば、今すぐその考えを捨てて下さい。
私は中学生時代に成績が伸び悩んでおり、このままでは行ける高校も無いという程、成績が悪かった頃がありました。親に泣かれました。それだけ頭が悪かったんですね。
その際に先生に聞かされた話がこれ。
「自分の事を天才だと思いこめ」
あるところに非常に頭のいい女性がいて、その女性に「頭が良くなるコツはなんだ?」と聞いたところ、「自分を天才だと信じる事だ」との回答を頂いたとの事でした。
この「自分を天才だと思いこむ」という行為が学業に与える影響は非常に強いのだと言うことを、私はのちに経験します。
筆者は超絶に頭が悪かった
私は中学時代の終わりに努力を初め、なんとか地元の工業高校に入れました。5段階評価の成績でほとんどが1か2、ただなぜか数学だけ4だったことがありました。ちょうど、「解の方程式」と習っていた時期に数学の面白さが分かり(中学2年生頃?)勉強を頑張り始めました。
まさかこの「解の公式」が後程電験二種で極めて役立つとは、その時は思わなかったですが・・・。人生ってなにが役立つか分からないものですね。
よく姉から「数学なんて社会に出てからなんの役にも立たないよ」と言われました。が、私の場合は数学の知識が人生のターニングポイントにおいてとても重要となったんですね。
昔から機械いじりが好きだった私は、工業高校の授業には比較的早く慣れることができました。模型を作ったり、色を塗ったり、絵をかいたりといった、およそ勉強とは離れた分野では、変に凝り性なところがありました。
ですが、周りの人は基本的に機械いじりなんて始めてというような人が多く、かなり苦労していたようでした。
そう、私は中学生時代は全く駄目な人間だったのに、工業高校に入った途端に「結構イケてる人間」になれたと思ったのです。提出するレポートなどは、きったない字ながらも絵をふんだんに駆使して、かなり評価されました(この「絵描き」という能力が、電験二種二次試験を突破するカギになるとは、その時はまだ思わなかった・・・そんなんばっかです^^;)
幼いころから負け続けだった自分が初めて人に評価されたんですね。自分を信じようと思い始めたとき、私は頭が徐々に働くようになっていったのが分かりました。
オンリーワンを目指した
その時に私は、「自分を天才だと思いこめ」という先生の話を思い出し、自分のことを信じる事にしました。
今思えばやっぱり周りより数学や英語、社会、国語といった基礎学力の面では劣っていたんですね。小学生の頃からまるで勉強ができなかったんです。当然ですよね。
けれども私は機械いじりが昔から好きでしたし、漫画家を目指していたので絵心もそこそこあったので製図やレポートで点数を稼げました。負けている部分があってもいい、自分の長所を徹底的に伸ばせばいいと感じたです。
私はそのころから「他人と同じ土俵で戦っても勝ち目がないんだ。ならオンリーワンを目指そう」と思い始めました。周りに敵がいなければ、自分はその分野での天才になれる。
後で分かってきたことですが、一つ道を究めると、他の分野に手を出すときに「努力の仕方」が分かるので応用できるんですね。私の場合、あまりにも沢山の資格を取得したせいで、他の資格の勉強の仕方がすぐに分かるようになりました。
その後、私はレポートやプログラム・絵描きといった他人があまり得意ではない分野で能力を伸ばしていき、「この分野ではアイツにはかなわないな」と周りの学生に言わしめるまでになりました。
半面、国語や社会、英語は全く分かりませんでした。徳川家康や織田信長のことも知りませんでしたし、英語は高校3年生になってdidがなんなのかも分かりませんでした。試しに受けてみたTOEICの点数は230でした。あまりにもひどいので転職活動の際に一般常識・SPIの問題が全く解けず、勉強しなおしています(多分、高校1年生くらいの学力にはなったかな)
資格取得の天才になっていった
その後、学歴と基礎学力に全く自信がもてない私は、その穴埋めをするために社会に出てから資格をひたすら取り続けました。
消防設備士や危険物、ボイラーといった比較的簡単な資格を一つ一つ取っていくうちに「あれっ、これってなんかゲームみたいだな。ドラクエでいうと魔法を覚えていくみたいで、なんか楽しいぞ」と思うようになってきたんですね。
はじめはとにかく不合格ばかりでした。第二種電気工事士の資格は一度滑り、2級ボイラーは2度、1級ボイラーは一度、甲種危険物は2度、エネルギー管理士は3度、電験二種は2度、不合格を経験していました。
が、とかく幼い頃から家が貧乏、発達障害、早生まれ、虚弱体質と妙に逆境に慣れていた私は、滑るたびに「まぁ~俺の人生転んでばっかりだったし、また次受けよっと」と気楽に構えていました。そして、何度もしつこく受験し続けたんですね。
そうこうするうちに、資格や特別教育などの取得数がえらいことになってきました。最終的にはすべてで40個ほどもの資格・特別教育受講などがあります。その頂点に輝くのが「電験二種」と「エネルギー管理士」なんですね。
そう、私はいつの間にか「資格取得の天才」になっていたんです。これって自分では気づかなかったですが、すごいことですよね。そしてすべての資格で、なんというか「出題の傾向」といった、ある種独特な臭いを感じられるようになったんですね。
出題者の意図を読み取れるようになった、というか。ここまでくると達人の域だと思います。
継続こそ才能なり
私は学業がまるでできなかったため、幼少のころからゲームをひたすらプレイしていました。私は決して器用なほうではないのですが、小学生・中学生の頃にプレイしたゲームでクリアーしていないゲームは1本もありません。買ったゲームは、必ずどんなことがあっても最後までクリアーしたんですよ。
この「しつこさ」は、のちの資格取得の際に役立ってきます。
私は資格取得人生の中で何度も不合格を繰り返しました。けれども私はとんでもなくしつこかったため、どんな資格も決して最後まであきらめませんでした。
私は頭が悪かったばかりに、電験の勉強の辞め時がわかりませんでした。おそらくある程度賢明な人ならば電験二種の計算問題をみた時点で「こりゃダメだ、やらんほうがええ」とやる前にあきらめるでしょう。実際、「私も電験二種勉強したい」と話しかけてきた人に二種の問題を見せたら、ほとんどの人が「あ、うん・・・これ無理っぽいわ。ありがと」と去っていきました。
が、私の場合は見てもわからない部分とわかる部分とがはっきりしていたので、「じゃぁわかる部分だけやろっと」と、三種の勉強から継続して二種の勉強をつづけました。はじめはわからない部分ばかりだったので、論説など単純に覚えればいい部分を積極的に行いつつ、わかる計算問題を少しずつ解いて知識を増やしていったんですね。
テクニックという程でもないのですが、どんな資格でも理解が難しい部分と、簡単な部分とがあり、簡単な部分を攻略していけば大体合格レベルである60%には届くものです。私は100%を目指すのではなく、いつも70%くらいを目指して勉強してきました。70%取れれば、大体の資格は合格します。それは電験二種でも同じです。
資格取得がゲーム感覚に
私にとって資格取得はゲームのプレイそのものでした。ドラクエでいえば始めたでシルバーデビルやキラーマシーンにかなうわけがないんです。ならはじめはスライム狩りでしょう。自分で戦えそうな相手を探し、ひたすらそいつらを狩っていく。ドラゴンとか出たら速攻で逃げる。なので難易度の高そうな問題のページは読み飛ばしていました。
レベルが上がったら他のモンスターも相手にしていく。そのうちに、強い敵とも戦えるようになるんですね。
理論でいえばキルヒホッフを倒したらテブナンに挑む。徐々にレベルを上げて三角関数、交流回路へ挑んでいく・・・。段階的に戦える相手が増えていくのが、とても楽しかった。特に数学が好きだった私は、高校時代に満足に数学を勉強できない境遇だった事もあって、高校の数学の参考書を読んで知識を習得していくのがとても楽しかった。
その勉強の継続はまさに執念そのもの。先輩から「お前の学力じゃ絶対無理だからあきらめろ」とまで言われましたが、元々学力のない私は身の程を知らなかったために、あきらめることができなかったんですね。
実業家の世界では学歴の高い人はリスク・現実が見えすぎるために行動に移せず、かえって頭の悪い人ほどリスク度外視で挑戦して成功する、ということは結構あることのようです。
私は頭が悪いのは承知の上だったので、先輩や学校卒業したての新入社員にわからない点を聞くなど、自分のプライドをかなぐり捨ててまでも人の教えを請いました。なりふりなど構っていられなかったわけですね。
そして誰よりも勉強しました。5000時間も勉強を続けるというのは、もはや執念としか言いようがないでしょう。電験のために起き、電験の勉強を終えて寝るという期間を5年も続けたんですね。趣味の絵やゲーム封印しました。修行僧のような生活でした。
周りの人たちは私が気が狂ったのではないかと思われていたでしょう。私が参考書を自炊したものを再印刷し、理解した部分を黒く塗りつぶしていくという作業をしていたのを見た人は、ドン引きしていました。まぁわかります。
このサイトを作っていたのも、自分の人生を電験一色に染めるためだったというのが、理由の一つです。
やるなら若いうちに始める
実際、ある程度まで勉強をして「これは無理だな」とあきらめてしまう人のなんと多いことか・・・。
電験二種の試験会場に行くと、「その参考書何十年使ってるんだ・・・?」というほどにつぎはぎでボロボロ、テープで固定してなんとか原型をとどめているような電験学生の初老の方などおられます。
前の会社の先輩も、電験二種の一次試験合格まではこぎつけたけれども二次試験がどうしても越せず、結局諦めてしまった人がいます。その人はある程度出世できる立場にいたので、そこまで勉強せずとも電験三種があれば出世できるから・・・とあきらめたようです。そういう出世ラインがはっきりしているのならば、そういう生き方もよいと思います。
電験二種にまで挑むということは、人生の大切な時間を失うことにもなりますから・・・。普通に会社員として働き、嫁さん子供を養い・・という生き方ならば、電験二種の資格に挑むのは難しいかもしれません。私が独身で失うものが何もなかったからこそ、試験勉強一色に染まれたという事実もあります。
仕事で必要なのか、それとも若いころから勉強を始めていまだ受からないのか、それぞれの事情はあるでしょう。が電験の「3年で合格科目リセット」というシステムは、本当に恐ろしく辛いものです。エネルギー管理士で科目リセットされた経験がある私にはよくわかります。
勉強を始めるならとにかく早いほうが良い。若ければ若いほうがいい。私の場合は30歳ころから始めましたが、もっと早くに始めておけばよかったと思っています。もっと若いころに始めていれば「電験の天才」になれたのではないかなと思っています。
一万時間の法則
この「一万時間の法則」というのを聞いたことがありますか?プロになるためにはどのような分野でも一万時間の努力を必要とするとされているものです。
一万時間勉強したらプロになれるかというとわかりませんが、プロは例外なく一万時間以上はその業界で努力を積んでいるのだ、という法則ですね。
「電気主任技術者」になるということは電気の最高責任者になるということであり、電気のプロそのものです。電気のプロを目指すならば、電気主任の資格取得で5000時間もの時間を費やすというのも、トータルで見れば悪くないと私は思っています。
実際、第二種電気主任技術者の資格が必要な需要家で電気主任をしていますが、電験で培った電気技術的な知識は間違いなく役に立っています。
私は生まれたときから体が弱く現在も闘病中ですが、(職場によりますが)体が弱くても資格があればできる電気主任技術者という仕事につけて本当に良かったと思います。
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